誰か。

希望も光も見えず、ただ暗く不安な毎日
何処へ行くも、何をするも批判し
誰かのせいだと言葉のナイフを投げ続ける

この暗い毎日は誰かのせいなのだろうか?
誰かが苦しみ消えれば明日が明るくなるのだろうか。
それはきっと虚しく意味の無いものだとわかっていても
それが誰かの生きる希望になるのだろう。

誰かの心を傷つけるものではなく励まし合い、助け合う事に未来への光が見えてくるものではないのだろうか。
この言葉も無意味だと言う「誰か」




その誰かは「自分自身」なのかもしれない。